祝島へ向かうバスの中から。原子力発電所のはなし。

3 8月

夜行バスで広島に向かっています。夜行バスはなんだかロマンがあって好き。お互いに知らない人同士がおんなじバスに乗り込んで、おんなじところに向かう感じ。わくわくします。

ぼくがいま向かっているのは、祝島とい​う山口県のちいさな島。あんまり知られていないけど​、祝島の対岸2kmのところでは、中国電力が上関原発という原子力発電所を​建設しています。漁業と農業が主な産業である祝島では、20年以上前から上関原発反対運動をしていて。それ見に行こうというわけで、ぼくはいまバスに揺られているんです。

福島の一件の前から祝島の反原発運動は有名で、『ミツバチの羽音と​地球の回転』や『祝の島』のようなドキュメンタリー映画も見ました。反原発だそ​ら肯定だなんだという前に、とりあえず原発を作るところはどんな​ところなのか、そしてそこで何が起こっているのか、しっかりと見​てこようと思っています。明日,明後日はそこで過ごし、6日,7日は広島で平和記念式典や​鹿を見ます。「核」について多方面か考える4日間にしたいです。

さて。出発前、よく友達に「祝島っていう原発をつくってるとこにいく」というと​だいたいの人は祝島の存在を知りませんでした。ほとんどの人は「まだ作ってるんだ」とか「いまさら?」といっていました。そこでひとつ気にかかったことがあります。まだ、と​かいまさらっていうのは、3月11日以降の「こちら側の人たち」気持ちなんではないでしょうか、ということ。

ぼくを含めて多くの人は、3月11日まで原発なんてどうでもよか​ったはずなんです。だから何も考えなかったし、反対だなんだなんて言わなかっ​たはずなんです。ぼくらにとって原子力発電所は、いままでは単なるク​リーンな電気の供給源だった。だからぼくらはその恩恵に肖り、原​発がある場所のことなんて気に留めていませんでした。

でも3月11日、原子力発電所のリスクが自分に刃を向けた瞬間に、事実に気​づいて慌てたんです。それがぼくのいう、「こちら側の人たち」。

祝島のような原発建設地では、何十年もまえから​反対運動が行われていました。それができるのは、祝島のひとたちにとって、原子力発電所は生活​に関わるモノだから。生活を壊すモノだから。つまり、ぼくたちが無意識に許容していた原子力発電所は、そういう人たちの故郷、街を何かしらで壊していたということなんです。

それって植民地主義的で帝国主義的で、罪があるといっても過言ではない気すらします。たとえば福島のひとたちの土地を使って、のうのうと生きていたぼくたちにある、罪。

そんなことを考えていると、反原発だなんて、ぼくにいう権利はあ​るのだろうか、と思います。それこそまさに「いまさら」だから。正直なところ、原発ができようができまいが​、ぼくの生活は何も変わりがありません。残念だけどそれはほんとで。だからいま​まで気にすらしていなくて。

そういうことで、なんだか最近、ずっとモヤモヤしているんです。祝島で感じたことが、そのモヤモヤを解消してくれれば、そんな気持ちでぼくはいま、祝島に向かっています。

物見遊山で行ったところで何か解決するのか、原子力発電所問題がそれこそ「自分ゴト」になるのか。そう言われたら、否です。しかし行かないで何かを言うよりも、それはおおきく違うはず。自分たちがいままで無視し続けていた、そして興味すら持たずに生きてきた原子力発電所を知り、考え、そしてそれを生かすことのできるおおきなチャンス。それがこの祝島への旅にはあるんじゃないか、と確信を持っています。

バスは東名高速道路をまっすぐ進んでいます。がたんがたんと揺れる度に、ぼくは祝島へ近づいていきます。それはそれはおおきいモヤモヤを胸にずっしりと抱えながら、ちいさなちいさな島へと、近づいていきます。

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